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BLUE OCEAN 代表

田口 功二 Koji Taguchi

福岡県出身

☆姪の浜生まれの姪の浜育ち。姪の浜を愛しまくっています。

   もちろん、姪浜小学校と姪浜中学校を卒業。

 何でも熱くなりやすく前しか見えなくなる性格から、通称「姪浜の修造」と言われています。

 

[私の履歴書]

 筑前高校卒業後、教師を目指すべく福岡教育大学に入学。

 金八先生のドラマに影響を受け、「絶対こんな先生になるんだ!!」と意気込み入学したにもかかわらず、

 入学3ヶ月後に 教師もサラリーマンなんだと現実に衝撃を受け、あっけなく挫折&教師の道を目指すことからリタイア。

 「何のために俺は大学に来たんだ」と悩んでいた頃、当時ニキビが酷かった高校時代を引きずり対人恐怖症になっていた私に

 まさかの出会いがやってくる。それが、今の私を作った始まりなのだが。)

 当時、極度の人見知りだった僕に対して

 「功二!バーテンダーになってカッコイイ男になれっ!人見知りなんて関係ねぇよ!」って、

 宗像にある53CLUBというBARの当時のオーナー(剛さん)に言われ、教師とは全く別世界のBARという職業でしたが、

 何の偏見もなく、純粋に「この人みたいな カッコイイ生き方をしたいっ!」という気持ちが強く、

   彼のBARでアルバイトをするようになり、バーテンダーというよりは接客をすることの楽しさ、

 何よりも奥深さに魅了されていきました。

 それから、色んな店で飲食店をもっともっと学びたいと数店舗を掛け持ちし、とにかく体力が続く限り働き全力で学びました。 

 (自分でお店を持つと決めたのが この頃。)

 当時、働かさせてもらっていた お店は、BAR・イタリアン・エスニック・フレンチ・パン屋etc...。

 時が過ぎ、大学を卒業。両親には申し訳ないほど、飲食店でのアルバイトに明け暮れた4年間でした。

 (ちゃんと教員免許を取れたのが唯一の救い。)

 もちろん、卒業後も数店舗の飲食店に勤め、自分より頑張っている同年代を見つけては、負けじと学び努力し続けました。

 (“継続は力なり”を身を持って感じる日々を過ごしました。)

 そして、努力の甲斐あり 23歳の時に福岡の飲食店激戦区「大名」にてイタリアンダイニングバーの立ち上げ料理長に

 抜擢して頂き、ここで飲食業という世界の酸いも甘いも経験し、大きな成長をすることができました。

 それからそれから…。

 (話せば長くなるので省略。)

 24歳になった私は決断の時が来たと、夢であった飲食店をOPENすることに。

 その時OPENしたのが1号店(本店)の「Kitchen&Bar Qualia」です。

 これから…。多くの仲間と出会い、彼らの成長と成功を手助けできるように学び続けたいと思っています。

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